No hope, No life

奥寺大輔のブログ。日常をひっそりと綴ります。

自分にとって本質的なこと

 

神奈川で生活し始めて3ヶ月。来週には今の家を出なければならない。

 

3ヶ月でバイオリン職人の職を辞してとあるスタートアップ企業の社長さんからお声がけを頂いてこっちに住みながらインターンと転職活動をすることになった。

結果的には社長さんにはものすごくお世話になって人生の視野が広がったし色んな出会いがあった。主にベンチャー企業の社長さんと接する機会が多かった。

 

そうだけど俺は甘えっぱなしでインターンでは大して成果を上げることができていなかった。というより何もスキルがないから何をしたらいいか何をどうがんばったらいいか分からなかった。単なる言い訳かもしれないけれども自分はこの社会で全く通用しないのだと痛感した。

 

やりたくないことには拒絶反応が起こる。徹底的に自分のために生きたい。やりたくないことは断りたいしやりたいことに集中したい。

大学までは我慢してやりたくないことも続けた。その一つはラグビーだった。俺はスポーツが得意ではないし好きでもない。だけどラグビー部に入ってやめることができずというより辞める勇気がなかった。

 

その反動からかバイオリン屋に入ってからやりたくないと思うとすぐにやめた。

 

自分にとって本質的なこととはなんだろうか。

それは劣等感や優越感や他人との比較がないところにあるのではなかろうか。

 

痩せてあの人のようにかっこよくなってモテたいだとか同期のあいつは就職してたくさん稼いでいるとかそんな他者と自分を比較して焦って何かをやること。これは本質から逸れている気がしている。

 

そうではなくこれをやっているときが生きている喜びを感じられるのだというものが本質的なことではなかろうか。

 

俺にとっては「クラシック音楽を聴くこと」「芝居を観ること」が最もやりたいことで自分の本質が見えるものだ。

 

クラシック音楽は子供の頃から好きだった。母がピアノ教室を運営していたため物心ついたときはピアノがあり音楽があった。クラシック音楽は中学から熱心に聴き始めた。きっかけは確かベートーベンとの出会いだったと思う。フルトヴェングラー指揮の第九は衝撃を受けた。それから交響曲全集を買って繰り返し繰り返し聴いたものだった。

クラシック音楽のよさは数百年前に作曲されたものが今聴けるという奇跡に立ち会えることにある。時間が経っても残るものは本質的だ。そんな本質的なことが好きだ。

 

大学時代は映画にハマった。大学の講義よりも就活よりも映画を観ることの方が大切だと思ったので4年になる年は単位を一切とらず家に引きこもってあるいは映画館に行き映画を観まくる1年を送った。気に入った映画は何度も繰り返し観た。その年は400本くらい観たと思う。

 

なぜ映画を観ることが面白いのだろうか

第一に時空や国境を越えて自分が知らない世界を観ることができるということ。

第二に自分が送っている人生とは全く異なる人生を追体験できること。

第三に現実と虚構を行ったり来たりできること。

そして最後に俳優の演技を観ることができること。

以上の4点にある。

 

演劇も好きだ。映画は顔を切り取ったり風景を切り取ったりしているのでどうしても現実とはかなり異なり不自然といえば不自然だ。

だが演劇はライブ感がありまるで他者の日常へハリーポッターがよく使う透明になれるマントを被って侵入しているような感覚になる。俳優の肉声や身体によってある空気が作られるところが面白い。

 

映画でも演劇でも俳優の演技を観ることがとても楽しい。

率直に思うのは「この人たち、何をしているんだろう?」ということだ。

ある時は実在の政治家の格好になって会話しまたある時はアウシュヴィッツから生き延びた人になって会話しまたある時はシングルマザーになって夫と会話し・・・

不思議なことをしているなと思う。

 

嘘といえば嘘だけどそこに真実があったりする。また現実の中にも映画のような虚構があることもある。そんな真実と虚構の狭間で人は生きていくのだろう。

 

人ならばみんな演技をすると思う。ある時は誰かの息子として振る舞い、とあるときは誰かの恋人として振る舞い、またあるときは誰かの上司として振舞う。仕事と家庭で同じように振舞うことはできないだろう。稀にそういう人もいるかもしれないが。

服を着替えることも演技のうちだと思う。人間はみんな俳優だ。そういう意味で俳優という不思議な職業は最も人間的というか人間の本質を体現する職業ではないかと映画ファンとしては思う。

いずれ自分もスクリーンの中に入りたい。舞台にも立ちたい。カッコいい人ばかりが俳優じゃない。自分みたいな不細工な人でもスクリーンに入れるのだ。それを証明したい。

 

音楽と芝居に自分の本質がある気がしている。音楽を聴くときには劣等感も優越感も他者との比較もなくただただ「生きる喜び」がある。自分より音楽に詳しい人がいても特に何とも思わない。劣等感を抱くことはない。

 

24歳の時点で自分の本質に気付くなんて諦観している感じもする。

だが心の支えというか拠り所となるものがあることは今後生きていく上でプラスになることではなかろうか。あとはどんどん自分の可能性を信じて行動していくことだろう。

 

転職活動はというとなかなか決まらない。今3社結果待ちである。

とりあえず来週からは自分の力で生きていかなければならない。バイトはしたくない・・・

 

したくないことはなるべくしない。でも食っていくためにはしたくないこともしなきゃならんのか。

 

来週の月曜以降の家が決まっていない。泊めてもいいという心優しい方は連絡ください!!

 

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