内田光子のモーツァルト
Mozart - Piano Concerto No. 23 in A major, K. 488 (Mitsuko Uchida)
今日はこれを聴いた。
なんと繊細で瑞々しい音なんだ!!
ベートーベンが一番好きなのだけれどたまにはモーツァルトも聴きたくなるぜ。
自分へ課す決め事
「努力を惜しまないこと」
これは自分の中で決めていることです。
努力しなくても生きてはいけると思います。
だけど俺はそうしたくない。これは自分で決めていることです。
なぜなら才能を言い訳に挑戦しなくなることが怖いからです。
一見才能に恵まれ成果を出している人でも他人の目に見えないところで半端ない努力をしていることがほとんどです。
俺は自分のやりたいことを全力で努力してやっていきたいです。
俺がしたいことは
・社長になる
・ピアノリサイタルを開く
・俳優になる
・バンドネオン奏者になる
・世界一周する
・日本一周する
・エンジニアになる
・ダウンタウンの番組に出る
・英語とスペイン語と中国語とフランス語をマスターする
です。他にも色々あるけど優先してやりたいことです。
特に音楽は死ぬまで続けたいし起業して社長にもなりたい。
社会問題を解決する人になりたいし芝居もやりたい。
才能に恵まれている人もいるが俺は努力していきたいです。
3ヶ月でバイオリン屋さんを辞めた話。
私は子供の頃から音楽が大好きな子供でした。
母がピアノの先生だったため音楽は身近にありました。私自身幼稚園の頃から母からピアノの手ほどきを受けました。
ピアノを弾き始めた当初はそれほどピアノが好きではありませんでした。
しかし中学1年の頃ベートーベンとの出会いからクラシック音楽にのめり込んで行きました。
特に交響曲はお気に入りで母から交響曲全集を買ってもらって何度も何度も聴いていました。
ピアノを弾くことも楽しくなりクラスで合唱をやる時は必ずと言っていいほど私が伴奏を担当しました。伴奏者と指揮者は名前が別個で書かれるからそれが嬉しかったです。
バイオリンを習い始めたのは中学に入ってからです。
小学6年生の頃地元のバイオリニストが演奏に来てくれました。その音色に衝撃を覚えたことは今でも忘れられません。雷が落ちたようにバイオリンの音に引き込まれていきました。
ピアノはドレミファソラシドがわかりやすいのになんでバイオリンは何もない板を押さえながら演奏するのだろう?と考えるのが楽しかったです。
バイオリンを弾くことは楽しかったんですがどう考えてもあれは不自然な姿勢です。
腰が痛くなったり首が痛くなったりして1年くらいでやめました。
吹奏楽部でクラリネットを吹いていたのでそっちの方に熱中したんです。
クラリネットは高校卒業までやっていました。中学の頃から弁護士になりたかったので法律が学べる大学に進学しました。
しかしながら心のどこかで音楽家に憧れていました。できれば音大に行って指揮やピアノの勉強をしたかったです。模試の時にもこっそり志望校に芸術大学と書いて担任が首をかしげたこともありました。
大学卒業間近になってやはり音楽に関わる仕事をしようかと思い、ちょうどそんな頃バイオリン屋の求人を見つけました。
「おぉ、これは面白そう!」
直感が働きました。
期待を胸にバイオリン屋さんで働き始めるのですがそんな期待は見事に消えてしまいます。
修理の仕事はあきらかに木工の仕事です。私は図工がそんなに得意ではなかったです。これは音楽ではない、木工なんだよねって気付いたのですね。
やはり修理するより演奏する人の方がかっこよかったんですよね。
そう思い始めると目の前の仕事に意義を見出せなくなるのですね。
3ヶ月でやめてしまい現在無職ライフを送っております。
今思えばあまりにも軽率だったなと反省しております。
つまらない仕事なんてないのです。つまらないと思う自分がつまらない人間なんですよね。全くその通りなんです。
今でもバイオリンを聴くことは大好きです。クラシック音楽も大好き。
ただ反省はしますね。
転職活動はどうかといえば15社は落ちて5社が選考中です。
あと50社くらいは余裕で受けられます。
諦めず頑張っていきます!!
ってなわけで無職になるまでの簡単な経緯を書いてみました。
こうして書いてみるとなんてことないな。
早く次のステージに進みたいです。
ブログのタイトルの話
私のブログのタイトルは
「No hope,No life」
となっています。
この由来について触れさせてください。
とあるイベントに参加した時、今までの自分の見方とは違う知見を見せられたのです。
バングラデシュで国際協力活動をしている学生団体のイベントでした。
今年の7月にダッカで起きたテロについて取り上げられていました。
大学教授2人をゲストに講演をやってもらっていました。
その大学教授の話が印象的でした。
「テロは貧困と結びつけて語られることが多いですがそうではありません。
そこそこお金があって学もある人が貧困になっていく過程で生きることに希望を失うことでテロに走ってしまうのです。」
これまで私も貧困だからテロを起こすという単純な考え方をしてきました。
しかしそうではないんだと。
生きる希望を失い人は壊れてゆくのだと。
人が生きるには衣食住が欠かせないけれどもそれがすべて満たされているからといって幸せになるとは限らない。
希望をなくした時がその人が壊れてゆく時なんだということを考えました。
希望なくして人生なし。
まさにNo hope,No lifeなんですよね。
どんな時も希望を失わずに生きていきたいという思いを込めてこのブログを書いていきます。
ブログを始めちゃう。
何をやっても三日坊主の俺がブログを始めちゃう。
なんてことだ。
一応初めましてとか書いた方がいいか。
みなさん初めまして奥寺大輔といいます。
。。。。。
。。。。。
。。。。。
まぁ特に書くことないや笑
こんなんで終わらせるなんてちょっとね。
日常を粛々と綴っていきたいと思っております。
おヒマな方、奥寺大輔という人物に興味がある方はぜひぜひお立ち寄りくださいませ!
どうぞよろしく。